鎮座地  相模国 大和市下鶴間2540番地
御祭神  建御名方神 (たけみなかたのかみ)
 当諏訪神社の創立の年代は不詳であるが、古来より式内石楯尾神社なりと伝えられ、新編相模風土記によれば文徳天皇天安元年(八五七年)五月祭祀のことが記載され、醍醐天皇延喜七年(九〇七年)の神名帳には、高座小五座のうち下鶴間村に石楯尾神社ありと記されている。  

 鎌倉時代中期のころ諏訪社として祀られたものと考えられ、延宝八年(一八六〇年)再建の棟札があったと云うことからも、徳川氏入国当時既に厳然と鎮座していたのは明らかである。
 宝永八年(一七一〇年)六月再建、安永七年(一七七八年)再建の棟札は現存している。
 さらに安政五年(一八五八年)十一月六日完成間近の社殿を大工の失火より悉く焼失してしまった。その後、氏子の熱意により明治五年七月に三ヵ年の歳月と、多大な資材、労力をかけて完成した社殿と伝えられているが、近隣の神社中でも比類のないものと云われている立派な彫刻にその年月の大半がかけられたものと思われる。

   
 



     
元宮

諏訪神社はその昔、石楯尾神社で
あったとも伝えられている。
諏訪神社東方約百五十メートル
目黒川をはさんで水田の中にあった。
 
大正十二年(1923年)に    建造された旧鳥居


昭和三十六撮影
地神塔

天照大神  大巳貴神
少彦名神  埴安姫神
 倉稲魂神
文化十二年八月(1815年)




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